【続】ハイチ地震緊急募金

ハイチ地震緊急・復興支援募金 第27報
「赤ちゃんに優しい」避難テントの設置

【2010年2月10日 ハイチ・ポルトープランス発】

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ハイチのポルトープランスの夜明け。1月12日の震災で、外で夜を明かした赤ちゃんとその他の人々が目覚め始めました。

2月は、例年ならばハイチの首都ポルトープランスや、首都の中央に位置するシャン ド マルス公園でカーニバルが開催されている時期です。

しかし今年は、1月12日に起きた震災の影響で、この公園は少なくとも1万5,000人の人々の避難所となっています。この中には、非常に幼い子どもたちや震災後に生まれた赤ちゃんも含まれています。

ユニセフは、ハイチ政府を支援し、他人道支援組織、地元NGOと共に避難所となっているシャン ド マルス公園に飲料水を届けました。また、最も幼く最も弱い立場の子どもたちのために、ユニセフが全面的に支援して「赤ちゃんに優しい」避難テントが設置されました。

「母乳育児を続けてほしい」

赤ちゃんに優しい避難テントでは、お母さんと乳児に、総合的な栄養面の支援と心理社会的なケア・サービスが提供されています。4人のハイチ人の看護師と1名のソーシャルワーカーが、妊娠している女性や授乳中の女性を確認し、避難テントに来るよう呼びかけます。この赤ちゃんに優しい避難テントでは、母親たちが休んだり、授乳のためのプライベートな空間を確保したり、安全な飲み水を手に入れ、カウンセリングを受けることもできます。

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ポルトープランスで娘を抱く被災した女性。ユニセフは、パートナーと共に被災地の乳児と幼い子どもたちの適切な食事法を促進しています。

最近になって、ハイチ保健省は、ストレスが多く衝撃的な経験をした女性は、乳児に安全な母乳を与えることができないという誤った情報に対して、警告を発しました。

「ハイチの幼い子どもたちの母親全員に、このメッセージを届けたいと思います。どうか、母乳を与え続けてください。それが赤ちゃんの命を救うのです。」保健省のアレックス・ラーセン医師はこう指摘します。「国外から支援して下さる皆様に、深く感謝致します。しかし、粉末の乳児用調製粉乳は、私たちが必要としているものではないということを理解していただきたいと思います。」

ユニセフのミジャ・ベルベルス栄養担当官は次のように付け加えました。「全ての1歳未満児への母乳育児に力を入れると共に、可能な限り最良の食事法の実践を保護し、促進し、支援することは、ユニセフの最優先課題のひとつです。」

栄養面の助言と支援物資
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ポルトープランスのラカイ・ドン・ボスコセンターでトラックから新たに到着したユニセフの支援物資を運ぶ男の子。

他人道支援団体と協力して行われているハイチでの支援活動の中で、ユニセフは、乳児の食事法、ビタミンA補給、急性栄養不良と下痢性疾患の治療について指導を行う、栄養支援グループの運営を主導しています。

ポルトープランスでの活動に加えて、南部の港町ジャクメルでもこうしたグループによる栄養面での支援活動の実施準備を整えています。また、レオガンでの実施も計画されています。

同時に、ユニセフはパートナーと共に、栄養不良の予防と治療のための支援物資を配布し続けています。プランピーナッツなどのすぐに食べられる栄養補助食品が、調理器具、家庭用水キット、栄養診断のための道具や医薬品と共に支給されています。

避難生活を強いられている母親と子どもたちには、亜鉛をはじめとする、下痢性疾患の治療のための支援物資と一緒に、不適切な母乳代替品に関する情報も届けられています。また、早期幼児開発ケアキットが6歳までの子どもたちに配布されました。このキットには、子どもの発達に合わせた教育資材や学習用品のほか、適切な衛生を促進するための貯水タンク、石けんも含まれています。

ハイチ地震緊急・復興支援募金 第26報
子どもたちに届けられた支援物資

【2010年2月9日 ハイチ・ポルトープランス発】

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© UNICEF/NYHQ2010-0153/Noorani
ポルトープランスのリラボイス地区にある児童養護施設で。ユニセフから届いたサンダルを受け取っている障害のある男の子。左は、その姿を見守る、この施設の所長で修道女のマルレーン・ジョセフさん。

大地震の発生から間もなく1ヵ月。この間、ハイチの首都ポルトープランスのトゥーサン・ルーベルチュール国際空港は、1日24時間体制で稼動し続けています。現在最も弱い立場に置かれている被災者=孤児や保護者と離れ離れになった子どもたちをはじめ、震災で住む場所を失った全ての人々のために、支援物資を載せた貨物機が、昼夜を問わず飛来しています。

1月12日の地震によって、数千棟の家屋が倒壊。発生前から既に疲弊していたハイチのインフラに致命的な損害を与えました。ポルトープランスのリラボイス地区で倒壊した建物の一つが、「Foye Zanmi Jezi(神様の小さな友達)」という名の児童養護施設。この施設で震災から暮らしていた90人の子どもたちも、現在は、施設の庭に立てられた三基のテントで、すし詰めの状態での生活を余儀なくされています。

地震が起きた時、子どもたちは外で遊んでいたので、全員無事でした。しかし、子どもたちが元の生活を取り戻せるようになるまでには、時間が掛かるでしょう。

この施設の所長で修道女のマルレーン・ジョセフさんは、幼い子どもたちの将来を案じていました。「子どもたちは、そんなに多くの物を持っていたわけではありません。でも、そんなわずかな所持品も、全て失ってしまったのです。」「心にも深い傷を負っています。」

子どもたちに届けられた支援物資
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ポルトープランスの空港で、ユニセフと米国軍スタッフが、児童養護施設のマルレーン・ジョセフさん(写真中央)と一緒に、届いたばかりの支援物資のリストを確認しています

マルレーンさんは、取り乱している様子でしたが、わずかな希望も持っていました。先週、切実に求められていたユニセフの支援物資が、トラック一台分この施設に届けられたのです。サンダル、衣服、毛布、寝具、歯ブラシなどが、この施設に届けられました。

これらの支援物資は、ユニセフが、こうした児童養護施設で避難生活を送っている5万人の子どもたちのために、他の人道支援団体とともにハイチに持ち込んだ支援物資の一部です。これまでに、約6,000人の子どもたちがこうした支援物資を受け取りました。

「全てを失いました。」マルレーンさんの養護施設で暮らす女の子、アン・ロジャーさん(16歳)はこう話します。「今年の試験のために、レポートを書かなくてはならないのですが、そのための資料も全部無くなってしまいました。学校も倒壊してしまいました。私が住んでいた寮も倒壊してしまいました。だから、こうやって届けていただけるものは、どんなものでも嬉しいんです。」

なくてはならない支援
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配布されたばかりの支援物資の箱を開ける児童養護施設のスタッフ

多くの子どもたちがこの地震を生き延びました。しかし、その正確な数はまだわかっていません。全人口の約40パーセントが14歳未満だったハイチ。まだまだ多くの子どもたちが、この養護施設の子どもたちのような保護を必要としています。こうした子どもの命を脅かす緊急事態に対応するため、ユニセフはハイチ政府や他の人道支援団体と協力して、以下のような支援活動を展開しています。

  • リラボイスの児童養護施設をはじめとする孤児院などの施設200箇所に設置した「子どもの保護センター」に、食糧、医薬品、調理器具などを提供。
  • こうした施設の職員など約8,000名を対象に、コミュニティの活動や教育を通して栄養面のカウンセリングを実施する内容のトレーニングを実施。
  • ポルトープランス各地に設置された避難所やキャンプで、約1,200人の乳児を持つ母親を対象に、「赤ちゃんに優しい食事(母乳や離乳食)」に関する啓発・教育活動を実施。
  • 他の人道支援団体と協力し、孤児や保護者と離れ離れになった子どもたちの発見と保護・ケアの拠点として、30箇所以上の「子どもに優しい空間」を設置。居住型の仮設施設の運用も開始。

避難所やキャンプなどで、子どもたちの間に栄養不良や感染症が発生しないよう、この他にも、安全な飲み水や衛生環境の確保(トイレの設置)、栄養といった重要な分野での支援活動も、その規模を拡大しています。また現在、7歳未満の子どもたち50万人以上を対象にした大規模な予防接種キャンペーンが展開されています。

被災地では、私たちの想像を絶する規模の支援が求められています。しかし同様に、国際社会もこれまでにあまり例のない規模で支援の輪が広がっています。支援物資が続々とハイチに届く中、ユニセフは、他の人道支援団体とともに、最も支援を必要としている人々に支援を届けるべく活動を続けています。

ハイチ地震緊急・復興支援募金 第25報
全ての子どもたちに必要な支援を-物流部門での活動も拡充

【2010年2月8日 ハイチ・ポルトープランス発】

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© UNICEF/NYHQ2010-0154/Noorani
ポルトープランスのリラボイス地区にある孤児院で、毛布を受け取る女の子たち。ユニセフは、この孤児院を含む各地の孤児院や養護施設で保護されている数千人の子どもたちに、寝具や衛生用品、トイレ、衣服、履物などの支援物資を届けました。

ハイチの首都ポルトープランスに設置された、ユニセフの支援活動用の新たな物流拠点には、暑い日差しが照りつけ埃が舞う中、人々が常にせわしなく動いています。この日は、50人ほどのスタッフが、ポルトーフランスとジャクメルの被災地で配布される衛生キットなどの支援物資を、トラックに積み込んでいました。

この作業に携っているスタッフ自身も、1月12日にハイチを襲った震災の被災者です。「彼らは毎日一生懸命働いています。被災者たちの元へ出来る限り早く物資を届けようと必死になっています。」 この拠点の活動を監督するユニセフのセバスチアン・ラプランシュは話しました。

震災前にユニセフが使っていた物流倉庫は、地震によって使えなくなってしまいました。ユニセフの仮設の現地事務所も併設されたこの新たな物流拠点は、人口の40パーセント近くを占める14歳未満の子どもたちが命を脅かす緊急事態におかれているハイチで、彼らの命をつなぐ支援物資を配布する重要な役割を担っています。

3基の大型テント
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ポルトープランスの空港で、被災地の約5万人の子どもたちへ届けられる支援物資を貨物機から下ろしているユニセフのスタッフ

この新たな物流拠点は、240平方メートルの大型テント3基で作られています。近日中に、テントの数は11基に増える予定です。

ドミニカ共和国やパナマのユニセフ物資供給センターの他、デンマーク・コペンハーゲンの物資供給センターなど、空路や陸路で各地から送られてくるユニセフの支援物資は、まず、この大型テントに到着します。

「こちらに到着する支援物資には、保健センター用のキット、助産師用のキット、微量栄養素の錠剤、医療用具、家庭用の飲料水キットなどがあります。」 この仮設倉庫を管理するクリスチャン・デフォー物流担当官、これから被災地で配布される支援物資を指差しながら、こう説明してくれました。

極めて重要な飲料水
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ポルトープランスのリラボイス地区の児童養護施設にも、ユニセフの支援物資が届けられた。そうした物資の一つのサンダルを履くマールキン・フラビンちゃん(6歳)と、彼女を手伝う女の子たち。

「家庭用飲料水キットは、特に重要です。多くの子どもたちが、臨時避難所の不衛生な環境での暮らしを余儀なくされています。」震災からわずか4日後に、コペンハーゲンから被災地にかけつけたデフォー物流担当官はこう話します。「子どもたちは、震災の中、一命を取り留めました。雨季が近づいてきている今、その発生が特に懸念されている下痢性疾患や他の水を媒介とする病気から子どもたちを守りたいのです。」

ハイチの社会インフラは、その機能をほぼ停止しています。このため、全ての人道支援団体が、物流面で困難に直面しています。こうした中、先日、ユニセフは、ポルトープランスで3,000人以上の子どもたちを保護している養護施設に、衛生用品や洗面用具、衣服、履物、毛布、寝具などを届けました。ユニセフは、NGOや公共機関、そして企業などとも協力し、ポルトープランスやカルフール、レオガン、プティ・ゴアヴ、ジャクメル、そしてその近郊で被災生活を送る人々に、物資を届け必要な支援を効果的に提供すべく、物流部門での活動も拡充しています。

世界中から応援に駆けつけるユニセフの専門家たち

地震発生から約3週間。ユニセフは、ハイチでの支援活動を拡充するため、世界各地から、経験豊かな専門家を派遣しています。支援を必要としている全ての子どもたちとその家族のニーズに応えるため、ユニセフは、他の人道支援団体とともに、24時間体制で活動を続けています。

現地での物流活動全体を統括するユニセフのトーマス・ヘッテンシュウィラー上級管理官は、この部門でのユニセフの役割を次のように説明します。「私たちの役割は、ユニセフが、他の人道支援団体などのパートナーとともに、すべての子どもたちが再び学校に再び通えるための支援や保健所への支援のほか、衛生環境の改善や人々の命を守る飲料水の提供といった活動が展開できるよう、質の高い支援、物資、物流を確保・提供することです。」

ハイチ地震緊急・復興支援募金 第22報
大規模な予防接種キャンペーンをスタート

【2010年2月3日 ハイチ・ポルトープランス発】

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© UNICEF/NYHQ2010-0140/Noorani
ポルトープランスにあるシルビオ・カトルスタジアムに設置された保健所で、母親に抱かれながら予防接種を受ける子ども。はしか、風疹、ジフテリア、破傷風、百日咳の予防接種キャンペーンが始まりました。

マガリーさんは、注射針が腕に刺さると顔をしかめました。マガリーさんの4歳の息子も、予防接種を受けると叫び声を上げました。注射は痛みを伴いますが、この親子の命を守ってくれるものです。マガリーさんたちの命は、危険に晒されているのです。

マガリーさん一家は、ハイチの首都に設置された臨時避難キャンプでの暮らしを余儀なくされています。マガリーさん一家をはじめ、数十万人の被災者が、今週始まった大規模な予防接種キャンペーンで、はしか、風疹、ジフテリア、破傷風、百日咳の予防接種を受けました。

子どもたちには生き延びてほしい
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避難キャンプでの予防接種キャンペーンで、予防接種カードに記録し子どもたちの親に手渡す保健スタッフ。

1月12日の地震で、マガリーさんは2人の子どもを失いました。マガリーさんと生き残った2人の子どもたちも、崩れた自宅の下敷きとなって10時間も生き埋めとなりました。

「地震が起きたとき、私は屋上で料理をしていました」と、マガリーさんはその時のことを振り返ります。「一緒にいた幼い2人の子どもの上に覆い被さりました。でも、他の2人の子どもは家の中にいたんです。助けてあげることができませんでした。私は、夜中の3時に瓦礫の中から救い出されました。」

「2人の子どもに予防接種を受けさせるためにここにきました。」「この子たちには病気に罹ってほしくありません。生き延びてもらいたいのです。」マガリーさんは語ります。

避難キャンプに迫る感染症の脅威
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被災地でユニセフが開始した大規模なキャンペーンで、予防接種を受けた直後の女の子。

ユニセフは、ハイチ保健省や世界保健機関(WHO)をはじめとする他の人道支援団体とともに、マガリーさんと子どもたちのような被災者への予防接種キャンペーンを展開しています。現在、被災した人々は、すし詰め状態の臨時避難キャンプでの生活を強いられています。

こうした状態の中、各地の避難キャンプでは、病気の流行のリスクが非常に高まっています。今回ユニセフが実施している予防接種キャンペーンは、主に幼い子どもたちの健康を守ることを主眼としていますが、高い年齢層の子どもたちやおとなにも、予防接種が提供されています。

キューバに留学していた医学生パトリック・ドリーさんは、この予防接種キャンペーンを応援するために、キューバ人の医師のチームと共にハイチに戻ってきました。「こうした予防接種は重要です」と、パトリックさんは話します。「今回の地震のような災害の後、被災者は、常に病気のリスクに晒されるのです。」

生きるための闘い
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シルビオ・カトルスタジアムで、予防接種を受ける女の子。

予防接種キャンペーンは、ポルトープランスの中心街にあるシルビオ・カトルスタジアムで、その第一弾がスタートしました。

「被災した多くの人々がこのサッカー場にやってきています。徐々にですが、混雑がひどくなってきました。」ユニセフの緊急保健支援上級アドバイザーのロビン・ナンディ医師はこう話しました。「このサッカー場は、町のちょうど真ん中にありますから、被災者たちは町中至る所からやってくるんです。」

ナンディ医師は、スタジアムの周辺の避難キャンプで暮らしている被災者に、子どもたちに予防接種を受けさせるよう促していると話します。「もちろん、このキャンペーンは、そうした避難キャンプで生活している人々を対象にしていますが、その他の場所から来た人々にも門戸を開放しています。」

このキャンペーンは、今後、他の避難キャンプでも展開され、さらに、ハイチ国内の被災地全域に拡大されることになっています。

マガリーさんと子どもたちと同様、被災した多くの人々は全てを失いました。生きるための闘いは、まだ終わっていません。ユニセフをはじめとする人道支援団体活動、そして国際社会が関心を持ち続け継続的に支援してくださることによって、ハイチの人々は、この事態を克服し、やがて生活を立て直すことができるはずです。

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