【2010年2月】

チリ大地震支援準備情報

チリ大地震 ユニセフ、被害状況の把握と支援準備を進める

【2010年2月28日 ニューヨーク発20100301tiri1.jpg

© Reuters/Ruiz Caballero

2月27日、チリを襲ったマグニチュード8.8の大地震。地震発生直後、首都サンティアゴの繁華街の路上に集まる人々。数百人が死亡。インフラも深刻な被害を受けた。

現地時間2月27日(土)未明に、南米チリを襲ったマグニチュード8.8の地震。ユニセフは、他国連機関と共に、被害状況の把握を進め、緊急支援活動をすぐに開始できるよう準備を整えています。

この地震で少なくとも700人が死亡し、数十万人の人々が被災したと報告されています。民家、病院、学校、道路や社会インフラなど、被害は広範囲に及んでいます。ユニセフ・チリ事務所のスタッフ全員の安否は確認されました。

ハイチ大地震の発生からわずか6週間半ほどで発生した今回の地震。ハイチでは、いまだに大規模な支援活動が続けられていますが、ユニセフは、その活動を縮小することなく、今回のチリの地震で求められる支援を提供することができると明言しています。

「ユニセフは、チリで発生した地震の影響を受けた全ての人々、特に子どもたちへの支援を行います。」(ユニセフ広報官談話)

「大惨事地帯」20100301tiri2.jpg

© Reuters/Jose Luis Saavedra

震源から100キロ南に位置する町、コンセプシオンで、崩壊した建物の傍に立つ男の子。

現地時間27日(土)午前3時34分に起きた今回の地震。震源地は、首都サンティアゴから南西に325キロメートル、20万人が暮らすチリ第二の都市コンセプシオンからは、僅か100キロの地点でした。地震による津波の影響で、南部沿岸の都市にも二次被害が発生しています。

チリ政府は、震災の影響を受けたビオビオ、マウレ、アラウカニア、バルパライソ、サンティアゴ都心部を、「大惨事地帯」に宣言しました。

被害状況の初期調査を行ったチリ政府は、現地時間28日、国際社会からの支援も受け入れることを発表。特に、仮設の病院施設や仮設橋の設置、浄水用の資材のほか、被害調査や行方不明者の捜索・救援の専門家の派遣を求めています。

一方、チリの教育省は、新学期の開始を一週間延期することを決めました。新学期は、現地時間の月曜日(3月1日)に始まる予定でしたが、3月8日に順延されました。

子どもたちが最も弱い立場に

今回の地震による死者数は、今後増えるものと見られていますが、1月12日にハイチで起きた地震と比べると、その数は限られるものになると見込まれています。ハイチでの地震は、チリで発生した今回の地震よりも地震の規模を表すマグニチュードは小さい値であったにもかかわらず、震災前から国中を覆っていた極度の貧困と、非常に脆弱なインフラ設備のために、地震の影響が拡大されました。

間もなく雨季が始まるハイチでは、今後、雨によって、支援物資の配布や様々なサービスの提供活動が思うように進まなくなるのではと懸念されています。こうした状況にも関わらず、ユニセフは現在、他の人道支援団体と共に、被災した子どもたちのために、緊急の教育支援活動を急ピッチで進めています。

子どもたちは、自然災害や紛争などの緊急事態において最も弱い立場に立たされます。ユニセフは、こうした状況の中で、子どもたちの命を守り保護するための緊急支援活動に加え、一瞬にして日常を失ってしまった子どもたちが安心して日常的な感覚が取り戻せるよう、「学校活動」を出来る限り早く再開できるように活動しています。

***

(財)日本ユニセフ協会では、ユニセフ本部・現地事務所より要請が入り次第、緊急募金の受付を開始いたします。

【続】ハイチ地震緊急募金

ハイチ地震緊急・復興支援募金 第34報
首都以外の被災地で実施される水と衛生に関する支援

【2010年2月24日 ハイチ・レオガン発】

© UNICEF video
ユニセフは、パートナーと共に、ハイチの首都だけでなく、その他の被災地の避難所で生活する子どもとその家族に、飲料水と衛生施設、他の必須支援物資を提供している。

震災前、ピエール・フィジェエさんは、ハイチの首都ポルトープランスから車で1時間ほどのところにある小さな町、レオガンで、弁護士をしていました。しかしながら、この町の他の多くの人々と同じく、フィジェエさんは1月12日の震災で全てを失いました。

震源近くに位置しているレオガンは、震災で町の建物の大部分が倒壊してしまいました。フィジェエさんは現在、臨時避難所で、妻、母親、そして二人の子どもたちと一緒に暮らしています。

「あの地震以来、大変に辛い状況が続いています。震災で家族のうち8人が命を落としたんです。」とフィジェさんは話します。「今のこの状況は、特に、小さなこどもたちにとって本当に苦しいものです。いま、雨季が迫っていますが、避難テントで生活しているので家族を守るためにその準備をすることすらできません。」

首都ポルトープランスに、多くの人道支援団体による支援活動と、メディアの注目が集中している一方、その他の地域もまた、地震によって深刻な被害を受けています。ユニセフは、パートナーと協力して、ハイチ全土の避難所で生活している子どもたちとその家族に、必須サービスを届けるために活動しています。

病気の流行の予防

避難所での支援活動のうち、最も緊急に必要とされているものは、安全な飲料水と衛生施設(トイレ)の提供です。ユニセフは、パートナーと共に、巨大な水枕のような仮設給水タンクの設置や、ハイチ全土の仮設避難所を清潔に保つためにトイレ用の穴を掘る作業を行っています。

「現在緊急事態下にあります。これは、飲料水を届ける必要があること、そして緊急に衛生施設を提供する必要があることを意味します。」ユニセフのロランド・ワルシェ水と衛生担当官は話しました。

「下痢性疾患が流行する可能性が非常に高くなっています。ですから、トイレの設置はとても重要なのです。」

フィジェエさんとその家族にとって、ストレスの多い非常事態の中で受ける水と衛生の支援は、わずかな復興の兆しを感じさせるものです。

ジャクメルの被災者のための支援
© UNICEF/NYHQ2010-0082/LeMoyne
ジャクメルのサッカー場に設置された避難キャンプで、ユニセフのスタッフが、他人道支援団体と共に支援物資を提供しているところ。

かつては、人気観光スポットであったハイチ南部の港町ジャクメルも、この地震によって深刻な被害を受けました。数千人の人々が、現在避難キャンプでの生活を強いられています。

最も大きな避難キャンプでは、ベネズエラ軍によって提供された、中に仕切りのある大型の緊急避難所用テントが利用されています。また、ユニセフは、パートナーと共に、いまだ避難してくる人の数が増加し続けているこの避難キャンプに、飲料水を提供し、トイレを設置しています。

マレパ・オリアリさんは、ジャクメルの避難キャンプにやってくる前は、崩壊した自宅で生活していました。「ここでの生活はそう悪いものではありません。」オリアリさんは、避難キャンプでの生活についてこう話します。「水を飲むこともできるし、調理をしたり、体を洗ったりするための水を使うこともできます。トイレは建設されていますし、私と夫と子どもたちのためのテントもあります。」

震災の影響を受けた人々が、生活を立て直そうと努力をしていると同時に、ユニセフは、パートナーと共に、全ての人が出来る限り普段と同じような生活を送ることができるように全力で活動しています。安全な飲料水と衛生施設(トイレ)の支援が、被災した子どもとその家族の震災後の生活に少しでも役立てられるよう願っています。

ハイチ地震緊急・復興支援募金 第33報
衛生施設の設置活動に若者が活躍

【2010年2月22日 ハイチ・ポルトープランス発】

© UNICEF/NYHQ2010-0238/Noorani
ポルトープランスのスラム地区で、飲料水を配給する人の周りに集まる人々。数キロも歩いて飲料水をもらいに来なければならない人も多い。衛生施設(トイレ)はいまだ限られた状態である。

1月に発生した大地震の被災地では、衛生施設(トイレ)の問題は、最も緊急の課題のひとつです。ユニセフは、全体で110万人以上の人々が緊急にトイレを必要としていると推定しています。ユニセフは、他の人道支援団体とともに、今後短期間のうちに1万基のトイレを設置する他、さらに、6ヵ月以内に2万基のトイレを設置する予定です。

こうした活動の一環として、ユニセフは、現地NGOのIDEJENと協力して、トイレやシャワー室、手洗い場を持つ1000棟の衛生施設の設置を進めています。

7年前に設立されたIDEJENは、15歳から24歳までの困難な状況にある若者に、教育と職業訓練を提供する活動を続けています。スタッフのひとり、ゲルダ・プレビロンさんは、被災者のために最近避難キャンプに設置された新しい衛生施設を見せてくれました。

「あらゆることに対応しています」
© UNICEF/NYHQ2010-0216/Noorani
ポルトープランスで、ユニセフの支援を受け、学校に通えない子どもたちをしている現地NGOが、被災者のためにトイレを設置している

「ここでご覧いただけるのが、IDEJENの若者たちがつくった衛生施設です。」プレビロンさんは、トイレが三基設置された衛生施設を指差して話します。この施設には、手洗い場とシャワー室もあります。「私たちのグループは、排泄物の処理や使用後の水の排出など、この施設の管理運営に関するあらゆることに対応しています。」

プレビロンさんによれば、IDEJENは、避難キャンプで公衆衛生と下水設備の重要性に関する啓発活動も行っています。

現在、1200人の若者がこの活動に協力しています。フィデル・フランツィーさん(22歳)もそのひとり。以前は、十分な教育を受けていないために読み書きができず、将来は限られた仕事にしかつけないと考えていました。IDEJENの活動に参加してから、フランツィーさんは、読み書き・計算を習得し、大工仕事についても学びました。こうした技術は、トイレを設置する際に役立てられました。

コミュニティへの支援
© UNICEF/NYHQ2010-0239/Noorani
襲った1月12日の震災で被災した人々のためにポルトープランス市内に設置された臨時避難所の中にある、崩壊した建物の門のそばで、衣服を洗う女の子。

「人々はこのサービスが必要です。」フランツィーさんは、トイレについてこう話します。「とてもやりがいのある仕事です。トイレを早急に必要としている人々の手助けをしているんですから。」

「みなさんもご存知のように、私たちは、このほかにも、衛生問題に取り組んでいます。」と、フランツィーさん付はけ加えました。「避難キャンプの周辺の路上を清掃する若者のチームもあります。ハイチの震災のための救援活動の一環として、他の若者やコミュニティの役に立っていることを誇りに思います。」

来週中には、衛生施設の第一号が完成する予定です。この施設の耐用年数は、およそ2年間です。

「格差」の是正

「ユニセフは、トイレを設置するために資金を提供しています。また技術的な支援も行っています。」(プレビロンさん)

徐々に雨季が近づくにつれ、保健の専門家は、臨時避難所に人々が密集して暮らしている現状と衛生設備の欠如が、大規模な下痢性疾患の流行を招きかねないと警告しています。

「このプロジェクトに一緒に取り組んでいることを誇りに思います。若者の手で行われているこのプロジェクトは、ハイチでは新しい試みです。」 プレビロンさんはこのように述べ、この活動は、社会が若者を見る目を変えていると指摘しました。「人々は、困難な状況にある若者たちは、何もすることができないと思っています。こうした活動を通じて、私たちは、若者にも技術を身につける能力があり、コミュニティへのサービスを通じて「良いこと」をすることができのだということを見せたいのです。

 ハイチ地震緊急・復興支援募金 第31報
父親の物語

【2010年2月19日 ハイチ発】

© UNICEF/HAITI/2010/Bakody
1月12日の震災の影響を受けたデュベイユ・マルスラン・アリスティドさんと息子のレマークちゃん(12歳)。

デュベイユ・マルスラン・アリスティドさんと息子のレマークくん(12歳)は、震災で崩壊してしまった自宅から50キロほど離れた町、フォンド・パリシエンにある小さな野外避難テントで、十数人の他の被災者の人々と共に生活しています。

1月12日の地震発生時、ポルトープランスの自宅の部屋で宿題をしていたレマークくんを、崩壊した部屋の壁が襲いました。

「コンクリートの塊が足の上に落ちてきたんだ。」レマークくんはその時のことを思い出して話します。「動くことができなくて、とても痛かった。」

居間でレマークくんの弟のまだ小さな赤ちゃんをあやしていたアリスティドさんもまた、地震によって崩壊した家の中で身動きが取れなくなりました。しばらくの間、アリスティドさんは頭が混乱し、ほこりの中で、ほとんど息をすることもできませんでした。しかし、暗闇の中で一筋の光を見つけ、その光を辿って、瓦礫の山と化した家の中から、外壁にあいていた穴まで辿り着くことができました。

まず最初に赤ちゃんが、その割れ目の穴を通って救出され、やがて、近隣の人々の協力で、アリスティドさんも脱出することができました。しかしながら、レマークくんの下半身を固定していた重いコンクリートを少しずつどける作業には、さらに4時間を要しました。レマークくんが助け出された後は、牧師をしているハイチの人が、アリスティドさんとレマークくんを救急治療を受けることができる国境の町フォンド・パリシエンに連れて行ってくれました。レマークくんは、激痛に苦しんでいますが、順調に回復しています。現在、骨盤は全てギブスで覆われていますが健康を取り戻しています。

生きていることへの感謝

アリスティドさんの家族は、命が助かったことに感謝し、彼らを助け、必要なケア・サービスを提供してくれた関係当局と国際ボランティアの支援活動を称賛しています。アリスティドさんとレマークくんは、フォンド・パリシエンにあるキリスト教布教教会に設置された避難キャンプで、レマークくんの母親と弟に一時的に再会しました。レマークくんの母親と弟は、ポルトープランスに戻りましたが、いまだ住所は不定です。

「全てを失ってしまいました」と、アリスティドさん。「私たちが持っていたものは全て破壊されてしまいましたから、路上で生活し、自力で生きていくしかありません。私たちを助けてくれるのは、今は神だけです。お導きくださるでしょう。神を信じていますから。」

必要不可欠な支援

ハイチの人口の40パーセント近くは14歳未満です。だからこそユニセフは、ハイチ政府とパートナーと共に、避難キャンプで緊急支援活動を行い、被災した子どもたちとその家族に必須支援物資と安全な飲料水を提供しています。ユニセフは、アリスディドさんのような人々が、震災前よりもよい生活を立て直すための長期的な再建・復興支援を継続して行う予定です。

レマークくんは、将来エンジニアになりたいと思っています。震災以前は、中等教育を卒業し、大学に進学する予定でした。現在、レマークくんは学校に戻る日を心待ちにしています。

ハイチ地震緊急・復興支援募金 第30報
安心して母乳を与えるために設置された「赤ちゃんに優しいテント」

【2010年2月18日 ハイチ・ポルトープランス発】

© UNICEF/NYHQ2010-0181/Noorani
看護師のテシイア・エンマキュリーさんは、シャン ド マルス公園の避難キャンプにある赤ちゃんのテントで、生後4ヵ月の女の子の母親のオリビアさんと一緒に最適な母乳育児について復習している。

崩壊した建物と臨時避難キャンプが並ぶ、震災によって著しく疲弊している町に、母親が安心して赤ちゃんに母乳を与えるための静かな場所を提供する12基の特別なテントが設置されました。

ユニセフからの支援を受けて、この「赤ちゃんに優しいテント」は運営されています。

アナスタシア・セント・ジョセフさん(19歳)は、震災から12日後に出産しました。ポルトープランスにあったアナスタシアさんの自宅は崩壊し、現在は市内にある避難キャンプのひとつで、十数人の家族と共にビニールシートの下での生活を強いられています。ここ3日間、アナスタシアさんは毎日この赤ちゃんテントに通っています。

「二人の子どもたちの栄養について助言してくれるのでここに来ました」と、アナスタシアさん。「ひとり目の子どもには、母乳を与えませんでした。ですから、二人目の子どものために、どうやって母乳を与えるのか教えてもらいました。もし、私が生後6ヵ月間の完全母乳育児を行えば、娘の健康を維持できることが分かりました。」

アナスタシアさんのような授乳期の母親が数百人ほど、この赤ちゃんのテントを利用していると推定されています。「赤ちゃんに優しいテント」のスタッフは、近くにある全ての臨時避難キャンプで、このサービスを宣伝して回っています。

母乳育児の神話
© UNICEF/NYHQ2010-0188/Noorani
シャン ド マルス公園の避難キャンプにある赤ちゃんに優しいテントで生後5ヵ月の娘に栄養補助食品を与えるソフィアさん。汚染を防ぐために、安全な飲料水を混ぜて加工している。

多くのハイチの女性たちが、震災後に広まった「神話」を信じ母乳育児を中断してしまいました。母親が震災の体験などからストレスを受けると母乳が出なくなる、というのも噂のひとつです。また、母親が適切な食事をしていないと、その母親の母乳は良くないものであるという「神話」もありました。

こうした誤解は、粉末の乳児用調製粉乳が支援物資として大量にハイチに送られる事態を引き起こし、赤ちゃんにとって危険な状況を作り出す結果となっています。ハイチの人々の多くは清潔な飲料水を手に入れることができず、汚い水で粉乳の粉末を溶かすことになってしまいます。そしてこれは、赤ちゃんの命を脅かす下痢性疾患を引き起こす要因となり得るのです。

ユニセフのアリ・マクレーン栄養担当官は、乳児用調製粉乳を送る前に、こうした結果を導いていることを人々は認識する必要があると話します。「赤ちゃんを救っていると思っていても、実際は赤ちゃんの健康と命を危険にさらしているのです。」

震災で母親を失った幼い子どもたちのために、ユニセフは、他人道支援団体と協力して、すぐに食べられる栄養補助食品を提供しています。この食品は、子どもに与える前に手を加える必要がないため、汚染された水を混ぜてしまうことによって、子どもが下痢性疾患に陥る危険もありません。しかし乳児用調製粉乳の場合は、汚染された物質の混入を避け、鮮度を保つために、正しく管理された状況で利用されなければなりません。

ユニセフは、より多くの女性がこの赤ちゃんに優しいテントを利用し、このプログラムが拡大されることを期待しています。

最も弱い立場の子どもたちへの支援

ユニセフと共に支援活動を実施している人道支援団体のスタッフはこう話します。「ハイチには多くの子どもたちがいますから、ポルトープランスにある全ての避難テントで、こうした子どもたちのためのテントに対する大きなニーズがあります。さらに、震災で多くの母親が母乳育児を中断してしまった今、この赤ちゃんに優しいテントがあることは子どもたちの幸福と福祉にとって、本当に重要なのです。そして母親への心理・社会的な支援も、こうした状況の中で非常に重要なものです。」

緊急事態下ではいつも、乳児や幼い子どもたちが、被災者の中でも特に弱い立場に立たされます。ハイチの状況も例外ではありません。そのような状況の中、母親にとっても身近な母乳育児は、ハイチの子どもたちの生存と健康を保つためになくてはならないものです。

ハイチ地震緊急・復興支援募金 第29報
テントの学校で勉強を再開する子どもたち

【2010年2月17日 ハイチ・ポルトープランス発】

© UNICEF/NYHQ2010-0167/Noorani
ポルトープランスの臨時ケア施設で、ユニセフが支援した早期幼児開発ケアキットに入っていたパズルで遊ぶスティーブ・チェリバルちゃん(8歳 左)と、リチャード・チェリバリちゃん(5歳)。

ユニセフが設置したテントで学校が再開された日、ヨランダ・セナトスちゃん(9歳)は、1ヵ月ほど前に体験した悲惨な出来事を少しの間忘れてしまうくらい、嬉しい気持ちでいっぱいでした。「絵を描くことと歌うこと、それから友達と一緒に遊ぶことが好きなの」とヨランダちゃんは話します。ヨランダちゃんの住んでいた家と通っていた学校は、1月12日にハイチを襲ったすさまじい地震によって崩壊しました。

ヨランダちゃんは、首都ポルトープランス近郊にあるジャケ山の村で地震の被害に遭いました。山の頂上にある人里離れたこの村へは、険しい道を通って行くしかありません。地震の際には、救助のためのヘリコプターを着陸させることさえも困難でした。そのような中で、ユニセフは臨時の学校やクリニックのためにテントを運び、学校用キットや医療品、基本的な医療機器を支給しました。ユニセフのスタッフは先週、朝早くに村へ到着し、村の人々と共にテントを設置しました。そしてその日にはもう300人の子どもたちのために授業が開始されたのです。

200万人が被災
© UNICEF/NYHQ2010-0176/Nooran
ポルトープランスにあるユニセフの物流倉庫で早期幼児開発ケアキット等の支援物資を確認するユニセフのスタッフ。

ハイチの教育インフラに対する震災被害調査はまだ完了していませんが、ポルトープランスにある学校の90パーセント、また、南部の港町ジャクメルを含むその他の被災地の40パーセントの学校が被害を受け、破壊されたと推定されています。これは、200万人もの子どもたちの「教育を受ける権利」が奪われていることを意味しています。

ユニセフは、ハイチ教育省と共に、被災地の子どもたちのために臨時の学校用テントを150基設置しています。4月初旬までに、全ての子どもたちが学校に戻ることが目標です。

「臨時の学習用スペースは、学校が再建されるまで使用することになるでしょう。」ユニセフのアンドレア・バーセル教育担当官は話します。「また、ユニセフは教育省と協力して、教師となる人材を確保し、すぐに研修を始められるように準備を進めています。」

こうした支援は、非常に重要です。学校で勉強をするということは、震災時の混乱した状況の中で子どもたちに安全で日常的な感覚を与えてくれるからです。ユニセフは、学校用テント以外にも、390セットの教育資材キット「箱の中の学校」と410セットのレクリエーションキットを、現在被災者が生活している10箇所の農村部に届け始めました。それぞれの「箱の中の学校」セットの中には、子ども40人分ものノートやペン、鉛筆、その他の学習用資材が入っています。

子どもたちのための安全な空間
© UNICEF Haiti/2010/Khadivi
ユニセフのアルノー・コンション緊急支援担当官は、3,000キット以上の早期幼児開発ケアキットの配布を調整している。それぞれのキットには、6歳までの子どもたち、約50人分の教材や遊び道具が入っている。

ユニセフはまた、子どもに優しい早期教育学習センターも設置しています。このセンターは、教育資材、学習用教材が備わっているほか、安全な飲料水の確保やトイレの設置についても支援されています。

「子どもたちが落第しないように、集中学習プログラムを行う予定です。調整が難しいと思いますが、準備は整っています。」(アンドレア・バーセル教育担当官) 

ユニセフは、他人道支援団体と共に教育省を支援し、現在、教育に関する支援作業部会を主導しています。全ての初等教育再開にむけて、今後3ヵ月間で以下の支援を行う予定です。

  • 幼児と子どもたちのための臨時スペースの確保
  • ハイチの教育当局と、震災緊急対応及び最終的なシステム再建を担う調整機関への支援
  • 被災地の教育的なニーズを完全に把握するための調査と分析
コミュニティの積極的な参加

ユニセフはまた、教育省への支援に加えて、被災地の保護者と教師も、子どもたちのための学習スペースの管理と活性化の活動に確実に参加できるようにするために、コミュニティによる積極的な参加を促しています。

教育分野への重点的な取り組みは、震災後のハイチの状況が、子どもたちにとっての緊急事態であるという事実を映し出しています。人口の40パーセント近くが14歳未満であるハイチでは、まず子どもたちへの支援から再建・復興支援を開始するべきなのです。

さらにユニセフは、震災の発生以来、国際社会から寄せられているかつてないほどの強い関心と支援は、ハイチの全ての子どもたちのために、震災前よりもよい状況に立て直すための復興支援に利用されるべきだと信じています。つまり、教育分野においては、震災前から入学率と出席率の低かったハイチで、学年齢期の全ての子どもたちが学校に通うことを意味します。

ジャケ山のテントの学校では、ヨランダちゃんがノートに文字を書いたり、絵を描いたりしています。ヨランダちゃんの先生、オニクケル・ポールさんは、テントの学校が再開されたことによって、子どもたちや保護者が、ハイチの状況は徐々に改善されていると感じることができたと指摘しました。

【続】ハイチ地震緊急募金

ハイチ地震緊急・復興支援募金 第27報
「赤ちゃんに優しい」避難テントの設置

【2010年2月10日 ハイチ・ポルトープランス発】

haichi100212_01.jpg © UNICEF/NYHQ2010-0128/LeMoyne
ハイチのポルトープランスの夜明け。1月12日の震災で、外で夜を明かした赤ちゃんとその他の人々が目覚め始めました。

2月は、例年ならばハイチの首都ポルトープランスや、首都の中央に位置するシャン ド マルス公園でカーニバルが開催されている時期です。

しかし今年は、1月12日に起きた震災の影響で、この公園は少なくとも1万5,000人の人々の避難所となっています。この中には、非常に幼い子どもたちや震災後に生まれた赤ちゃんも含まれています。

ユニセフは、ハイチ政府を支援し、他人道支援組織、地元NGOと共に避難所となっているシャン ド マルス公園に飲料水を届けました。また、最も幼く最も弱い立場の子どもたちのために、ユニセフが全面的に支援して「赤ちゃんに優しい」避難テントが設置されました。

「母乳育児を続けてほしい」

赤ちゃんに優しい避難テントでは、お母さんと乳児に、総合的な栄養面の支援と心理社会的なケア・サービスが提供されています。4人のハイチ人の看護師と1名のソーシャルワーカーが、妊娠している女性や授乳中の女性を確認し、避難テントに来るよう呼びかけます。この赤ちゃんに優しい避難テントでは、母親たちが休んだり、授乳のためのプライベートな空間を確保したり、安全な飲み水を手に入れ、カウンセリングを受けることもできます。

haichi100212_02.jpg© UNICEF/NYHQ2010-0130/LeMoyne
ポルトープランスで娘を抱く被災した女性。ユニセフは、パートナーと共に被災地の乳児と幼い子どもたちの適切な食事法を促進しています。

最近になって、ハイチ保健省は、ストレスが多く衝撃的な経験をした女性は、乳児に安全な母乳を与えることができないという誤った情報に対して、警告を発しました。

「ハイチの幼い子どもたちの母親全員に、このメッセージを届けたいと思います。どうか、母乳を与え続けてください。それが赤ちゃんの命を救うのです。」保健省のアレックス・ラーセン医師はこう指摘します。「国外から支援して下さる皆様に、深く感謝致します。しかし、粉末の乳児用調製粉乳は、私たちが必要としているものではないということを理解していただきたいと思います。」

ユニセフのミジャ・ベルベルス栄養担当官は次のように付け加えました。「全ての1歳未満児への母乳育児に力を入れると共に、可能な限り最良の食事法の実践を保護し、促進し、支援することは、ユニセフの最優先課題のひとつです。」

栄養面の助言と支援物資
haichi100212_03.jpg© UNICEF/NYHQ2010-0177/Noorani
ポルトープランスのラカイ・ドン・ボスコセンターでトラックから新たに到着したユニセフの支援物資を運ぶ男の子。

他人道支援団体と協力して行われているハイチでの支援活動の中で、ユニセフは、乳児の食事法、ビタミンA補給、急性栄養不良と下痢性疾患の治療について指導を行う、栄養支援グループの運営を主導しています。

ポルトープランスでの活動に加えて、南部の港町ジャクメルでもこうしたグループによる栄養面での支援活動の実施準備を整えています。また、レオガンでの実施も計画されています。

同時に、ユニセフはパートナーと共に、栄養不良の予防と治療のための支援物資を配布し続けています。プランピーナッツなどのすぐに食べられる栄養補助食品が、調理器具、家庭用水キット、栄養診断のための道具や医薬品と共に支給されています。

避難生活を強いられている母親と子どもたちには、亜鉛をはじめとする、下痢性疾患の治療のための支援物資と一緒に、不適切な母乳代替品に関する情報も届けられています。また、早期幼児開発ケアキットが6歳までの子どもたちに配布されました。このキットには、子どもの発達に合わせた教育資材や学習用品のほか、適切な衛生を促進するための貯水タンク、石けんも含まれています。

ハイチ地震緊急・復興支援募金 第26報
子どもたちに届けられた支援物資

【2010年2月9日 ハイチ・ポルトープランス発】

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© UNICEF/NYHQ2010-0153/Noorani
ポルトープランスのリラボイス地区にある児童養護施設で。ユニセフから届いたサンダルを受け取っている障害のある男の子。左は、その姿を見守る、この施設の所長で修道女のマルレーン・ジョセフさん。

大地震の発生から間もなく1ヵ月。この間、ハイチの首都ポルトープランスのトゥーサン・ルーベルチュール国際空港は、1日24時間体制で稼動し続けています。現在最も弱い立場に置かれている被災者=孤児や保護者と離れ離れになった子どもたちをはじめ、震災で住む場所を失った全ての人々のために、支援物資を載せた貨物機が、昼夜を問わず飛来しています。

1月12日の地震によって、数千棟の家屋が倒壊。発生前から既に疲弊していたハイチのインフラに致命的な損害を与えました。ポルトープランスのリラボイス地区で倒壊した建物の一つが、「Foye Zanmi Jezi(神様の小さな友達)」という名の児童養護施設。この施設で震災から暮らしていた90人の子どもたちも、現在は、施設の庭に立てられた三基のテントで、すし詰めの状態での生活を余儀なくされています。

地震が起きた時、子どもたちは外で遊んでいたので、全員無事でした。しかし、子どもたちが元の生活を取り戻せるようになるまでには、時間が掛かるでしょう。

この施設の所長で修道女のマルレーン・ジョセフさんは、幼い子どもたちの将来を案じていました。「子どもたちは、そんなに多くの物を持っていたわけではありません。でも、そんなわずかな所持品も、全て失ってしまったのです。」「心にも深い傷を負っています。」

子どもたちに届けられた支援物資
haichi100210_02.jpg© UNICEF/NYHQ2010-0148/Noorani
ポルトープランスの空港で、ユニセフと米国軍スタッフが、児童養護施設のマルレーン・ジョセフさん(写真中央)と一緒に、届いたばかりの支援物資のリストを確認しています

マルレーンさんは、取り乱している様子でしたが、わずかな希望も持っていました。先週、切実に求められていたユニセフの支援物資が、トラック一台分この施設に届けられたのです。サンダル、衣服、毛布、寝具、歯ブラシなどが、この施設に届けられました。

これらの支援物資は、ユニセフが、こうした児童養護施設で避難生活を送っている5万人の子どもたちのために、他の人道支援団体とともにハイチに持ち込んだ支援物資の一部です。これまでに、約6,000人の子どもたちがこうした支援物資を受け取りました。

「全てを失いました。」マルレーンさんの養護施設で暮らす女の子、アン・ロジャーさん(16歳)はこう話します。「今年の試験のために、レポートを書かなくてはならないのですが、そのための資料も全部無くなってしまいました。学校も倒壊してしまいました。私が住んでいた寮も倒壊してしまいました。だから、こうやって届けていただけるものは、どんなものでも嬉しいんです。」

なくてはならない支援
haichi100210_03.jpg© UNICEF/NYHQ2010-0149/Noorani
配布されたばかりの支援物資の箱を開ける児童養護施設のスタッフ

多くの子どもたちがこの地震を生き延びました。しかし、その正確な数はまだわかっていません。全人口の約40パーセントが14歳未満だったハイチ。まだまだ多くの子どもたちが、この養護施設の子どもたちのような保護を必要としています。こうした子どもの命を脅かす緊急事態に対応するため、ユニセフはハイチ政府や他の人道支援団体と協力して、以下のような支援活動を展開しています。

  • リラボイスの児童養護施設をはじめとする孤児院などの施設200箇所に設置した「子どもの保護センター」に、食糧、医薬品、調理器具などを提供。
  • こうした施設の職員など約8,000名を対象に、コミュニティの活動や教育を通して栄養面のカウンセリングを実施する内容のトレーニングを実施。
  • ポルトープランス各地に設置された避難所やキャンプで、約1,200人の乳児を持つ母親を対象に、「赤ちゃんに優しい食事(母乳や離乳食)」に関する啓発・教育活動を実施。
  • 他の人道支援団体と協力し、孤児や保護者と離れ離れになった子どもたちの発見と保護・ケアの拠点として、30箇所以上の「子どもに優しい空間」を設置。居住型の仮設施設の運用も開始。

避難所やキャンプなどで、子どもたちの間に栄養不良や感染症が発生しないよう、この他にも、安全な飲み水や衛生環境の確保(トイレの設置)、栄養といった重要な分野での支援活動も、その規模を拡大しています。また現在、7歳未満の子どもたち50万人以上を対象にした大規模な予防接種キャンペーンが展開されています。

被災地では、私たちの想像を絶する規模の支援が求められています。しかし同様に、国際社会もこれまでにあまり例のない規模で支援の輪が広がっています。支援物資が続々とハイチに届く中、ユニセフは、他の人道支援団体とともに、最も支援を必要としている人々に支援を届けるべく活動を続けています。

ハイチ地震緊急・復興支援募金 第25報
全ての子どもたちに必要な支援を-物流部門での活動も拡充

【2010年2月8日 ハイチ・ポルトープランス発】

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© UNICEF/NYHQ2010-0154/Noorani
ポルトープランスのリラボイス地区にある孤児院で、毛布を受け取る女の子たち。ユニセフは、この孤児院を含む各地の孤児院や養護施設で保護されている数千人の子どもたちに、寝具や衛生用品、トイレ、衣服、履物などの支援物資を届けました。

ハイチの首都ポルトープランスに設置された、ユニセフの支援活動用の新たな物流拠点には、暑い日差しが照りつけ埃が舞う中、人々が常にせわしなく動いています。この日は、50人ほどのスタッフが、ポルトーフランスとジャクメルの被災地で配布される衛生キットなどの支援物資を、トラックに積み込んでいました。

この作業に携っているスタッフ自身も、1月12日にハイチを襲った震災の被災者です。「彼らは毎日一生懸命働いています。被災者たちの元へ出来る限り早く物資を届けようと必死になっています。」 この拠点の活動を監督するユニセフのセバスチアン・ラプランシュは話しました。

震災前にユニセフが使っていた物流倉庫は、地震によって使えなくなってしまいました。ユニセフの仮設の現地事務所も併設されたこの新たな物流拠点は、人口の40パーセント近くを占める14歳未満の子どもたちが命を脅かす緊急事態におかれているハイチで、彼らの命をつなぐ支援物資を配布する重要な役割を担っています。

3基の大型テント
haichi100209_02.jpg© UNICEF/NYHQ2010-0147/Noorani
ポルトープランスの空港で、被災地の約5万人の子どもたちへ届けられる支援物資を貨物機から下ろしているユニセフのスタッフ

この新たな物流拠点は、240平方メートルの大型テント3基で作られています。近日中に、テントの数は11基に増える予定です。

ドミニカ共和国やパナマのユニセフ物資供給センターの他、デンマーク・コペンハーゲンの物資供給センターなど、空路や陸路で各地から送られてくるユニセフの支援物資は、まず、この大型テントに到着します。

「こちらに到着する支援物資には、保健センター用のキット、助産師用のキット、微量栄養素の錠剤、医療用具、家庭用の飲料水キットなどがあります。」 この仮設倉庫を管理するクリスチャン・デフォー物流担当官、これから被災地で配布される支援物資を指差しながら、こう説明してくれました。

極めて重要な飲料水
haichi100209_03.jpg© UNICEF/NYHQ2010-0152/Noorani
ポルトープランスのリラボイス地区の児童養護施設にも、ユニセフの支援物資が届けられた。そうした物資の一つのサンダルを履くマールキン・フラビンちゃん(6歳)と、彼女を手伝う女の子たち。

「家庭用飲料水キットは、特に重要です。多くの子どもたちが、臨時避難所の不衛生な環境での暮らしを余儀なくされています。」震災からわずか4日後に、コペンハーゲンから被災地にかけつけたデフォー物流担当官はこう話します。「子どもたちは、震災の中、一命を取り留めました。雨季が近づいてきている今、その発生が特に懸念されている下痢性疾患や他の水を媒介とする病気から子どもたちを守りたいのです。」

ハイチの社会インフラは、その機能をほぼ停止しています。このため、全ての人道支援団体が、物流面で困難に直面しています。こうした中、先日、ユニセフは、ポルトープランスで3,000人以上の子どもたちを保護している養護施設に、衛生用品や洗面用具、衣服、履物、毛布、寝具などを届けました。ユニセフは、NGOや公共機関、そして企業などとも協力し、ポルトープランスやカルフール、レオガン、プティ・ゴアヴ、ジャクメル、そしてその近郊で被災生活を送る人々に、物資を届け必要な支援を効果的に提供すべく、物流部門での活動も拡充しています。

世界中から応援に駆けつけるユニセフの専門家たち

地震発生から約3週間。ユニセフは、ハイチでの支援活動を拡充するため、世界各地から、経験豊かな専門家を派遣しています。支援を必要としている全ての子どもたちとその家族のニーズに応えるため、ユニセフは、他の人道支援団体とともに、24時間体制で活動を続けています。

現地での物流活動全体を統括するユニセフのトーマス・ヘッテンシュウィラー上級管理官は、この部門でのユニセフの役割を次のように説明します。「私たちの役割は、ユニセフが、他の人道支援団体などのパートナーとともに、すべての子どもたちが再び学校に再び通えるための支援や保健所への支援のほか、衛生環境の改善や人々の命を守る飲料水の提供といった活動が展開できるよう、質の高い支援、物資、物流を確保・提供することです。」

ハイチ地震緊急・復興支援募金 第22報
大規模な予防接種キャンペーンをスタート

【2010年2月3日 ハイチ・ポルトープランス発】

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© UNICEF/NYHQ2010-0140/Noorani
ポルトープランスにあるシルビオ・カトルスタジアムに設置された保健所で、母親に抱かれながら予防接種を受ける子ども。はしか、風疹、ジフテリア、破傷風、百日咳の予防接種キャンペーンが始まりました。

マガリーさんは、注射針が腕に刺さると顔をしかめました。マガリーさんの4歳の息子も、予防接種を受けると叫び声を上げました。注射は痛みを伴いますが、この親子の命を守ってくれるものです。マガリーさんたちの命は、危険に晒されているのです。

マガリーさん一家は、ハイチの首都に設置された臨時避難キャンプでの暮らしを余儀なくされています。マガリーさん一家をはじめ、数十万人の被災者が、今週始まった大規模な予防接種キャンペーンで、はしか、風疹、ジフテリア、破傷風、百日咳の予防接種を受けました。

子どもたちには生き延びてほしい
haichi100204_02.jpg© UNICEF/NYHQ2010-0141/Noorani
避難キャンプでの予防接種キャンペーンで、予防接種カードに記録し子どもたちの親に手渡す保健スタッフ。

1月12日の地震で、マガリーさんは2人の子どもを失いました。マガリーさんと生き残った2人の子どもたちも、崩れた自宅の下敷きとなって10時間も生き埋めとなりました。

「地震が起きたとき、私は屋上で料理をしていました」と、マガリーさんはその時のことを振り返ります。「一緒にいた幼い2人の子どもの上に覆い被さりました。でも、他の2人の子どもは家の中にいたんです。助けてあげることができませんでした。私は、夜中の3時に瓦礫の中から救い出されました。」

「2人の子どもに予防接種を受けさせるためにここにきました。」「この子たちには病気に罹ってほしくありません。生き延びてもらいたいのです。」マガリーさんは語ります。

避難キャンプに迫る感染症の脅威
haichi100204_03.jpg© UNICEF/NYHQ2010-0143/Noorani
被災地でユニセフが開始した大規模なキャンペーンで、予防接種を受けた直後の女の子。

ユニセフは、ハイチ保健省や世界保健機関(WHO)をはじめとする他の人道支援団体とともに、マガリーさんと子どもたちのような被災者への予防接種キャンペーンを展開しています。現在、被災した人々は、すし詰め状態の臨時避難キャンプでの生活を強いられています。

こうした状態の中、各地の避難キャンプでは、病気の流行のリスクが非常に高まっています。今回ユニセフが実施している予防接種キャンペーンは、主に幼い子どもたちの健康を守ることを主眼としていますが、高い年齢層の子どもたちやおとなにも、予防接種が提供されています。

キューバに留学していた医学生パトリック・ドリーさんは、この予防接種キャンペーンを応援するために、キューバ人の医師のチームと共にハイチに戻ってきました。「こうした予防接種は重要です」と、パトリックさんは話します。「今回の地震のような災害の後、被災者は、常に病気のリスクに晒されるのです。」

生きるための闘い
haichi100204_04.jpg© UNICEF/NYHQ2010-0142/Noorani
シルビオ・カトルスタジアムで、予防接種を受ける女の子。

予防接種キャンペーンは、ポルトープランスの中心街にあるシルビオ・カトルスタジアムで、その第一弾がスタートしました。

「被災した多くの人々がこのサッカー場にやってきています。徐々にですが、混雑がひどくなってきました。」ユニセフの緊急保健支援上級アドバイザーのロビン・ナンディ医師はこう話しました。「このサッカー場は、町のちょうど真ん中にありますから、被災者たちは町中至る所からやってくるんです。」

ナンディ医師は、スタジアムの周辺の避難キャンプで暮らしている被災者に、子どもたちに予防接種を受けさせるよう促していると話します。「もちろん、このキャンペーンは、そうした避難キャンプで生活している人々を対象にしていますが、その他の場所から来た人々にも門戸を開放しています。」

このキャンペーンは、今後、他の避難キャンプでも展開され、さらに、ハイチ国内の被災地全域に拡大されることになっています。

マガリーさんと子どもたちと同様、被災した多くの人々は全てを失いました。生きるための闘いは、まだ終わっていません。ユニセフをはじめとする人道支援団体活動、そして国際社会が関心を持ち続け継続的に支援してくださることによって、ハイチの人々は、この事態を克服し、やがて生活を立て直すことができるはずです。

【続】ハイチ地震緊急募金

ハイチ地震緊急・復興支援募金 第18報

身寄りの無い子どもの発見と保護、家族の発見に全力を尽すユニセフ


【2010年1月29日 ハイチ・ポルトープランス発】

ロドリゲスくんは、涙を拭いて話し続けました。1月12日の大地震で両親を亡くしたハイチの12歳の男の子は、勇気をふりしぼって、その時の様子を話しています。

ロドリゲスくんは、ユニセフのスタッフに、自分がどうやって生き延びたのか、そして、一人でどうやってこの児童養護施設に辿り着いたのかを話してくれました。

「友だち2人と外で一緒にサッカーをしていたんだ。」「その時、地震の音が聞こえてきて、地面が揺れたんだ。家に走って戻ったけど、家は崩れ落ちていて、お父さんもお母さんも死んでいたんだ。」

 
心と身体のケア
20100201haichi1.jpg© UNICEF Video
ユニセフは、1月12日の地震で孤児となったり、家族と離れ離れになった子どもたちを発見し登録するための調査を、首都ポルトープランスにある60以上の児童養護施設で行った。

ユニセフは、首都ポルトープランスにある60以上の児童養護施設で、子どもたちの実態調査を実施しました。専門スタッフが、各施設を回り、震災で孤児となったり、家族と離れ離れになったロドリゲスくんのような子どもたちを見つけ、登録する作業を進めています。

こうした子どもたちを養子として迎えたいという意思表示をされている方が大勢いらっしゃいますが、ロドリゲスくんのような孤児となった子どもたちには、今彼らがいる場所で、身体的な、そして精神的な支援が提供されることが必要です。

ユニセフがこれまで世界各地の自然災害や武力紛争などの現場で培って来た経験は、こうした支援が、子どもたちを家族や親類縁者などと再会させるための活動の一環として提供されることが最善であることを示しています。

 
「養子縁組は最後の手段」
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© UNICEF Video
ポルトープランスにある児童養護施設で、ユニセフのスタッフに、震災で両親を失った自らの体験を話しているロドリゲスくん(12歳)。彼は、消息がわからない3人の姉との再会を信じている。

ロドリゲスくんには、3人の姉がいました。お姉さんたちの消息はまだつかめていませんが、ロドリゲスちゃんは、お姉さんたちはみんな生きていると信じています。彼女たちとの再会を望んでいます。ユニセフは、他の支援団体と力を合わせ、ロドリゲスちゃんや同じような境遇にある子どもたちを支援するために、肉親だけでなく、親類縁者の捜索にも全力を挙げています。

「子どもたちの肉親や親類縁者の発見に、全力で取り組んでいます。」ユニセフ米州及びカリブ海諸国地域事務所のキャロライン・ベイカー子どもの保護担当官は話します。

「こうした子どもたちのために、あらゆる方法が考えられなければなりません。国内・海外を問わず、養子縁組という選択肢は最後の手段です。」と、ベイカー子どもの保護担当官は付け加えます。

再会を果たしたシンディちゃん
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© UNICEF Video
首都ポルトープランスで一緒に暮らしていた親戚と離れ離れになりながら、故郷の自宅で両親と再会したシンディちゃん(11歳)。

こうした大混乱の中、子どもたちと家族の再会は、不可能に近いことと思われがちです。しかし、実際に再会を果たした例もあるのです。

シンディちゃん(11歳)は、学校に通うために、農村部にある自宅を離れて、首都ポルトープランスにある伯父さんと伯母さんの家で暮らしていました。地震が起きたとき、シンディちゃんは伯父さんたちとは一緒にいませんでした。怪我を負って一人きりになったシンディちゃんは、自力で病院にたどり着きました。

地震の翌日、シンディちゃんの両親は、シンディちゃんを捜しに急いでポルトープランスに向かいました。「シンディを見つけられなくて、錯乱状態になりました。どうしたらいいのか分かりませんでした。」シンディちゃんのお父さんは、こう話しました。

シンディちゃんがたどり着いた病院は、ユニセフに連絡を取りました。ユニセフはシンディちゃんの伯父さんと両親を捜し出し、家族は再会を果たしたのです。

悲劇の中の喜び

シンディちゃんは安堵感に包まれました。「ユニセフの人が、伯父さんを捜し出してくれて、私をお父さんやお母さんと再会させてくれたんです。」シンディちゃんはその時のことを思い出し、こう話しました。「お父さんやお母さんと抱き合いました。再会できてとても嬉しかったです。お父さんやお母さんも、私と再会できて、とても喜んでいました。」

1月12日以降ハイチを襲った悲劇の中で、肉親や家族との再会の喜びは、多くのハイチの子どもたちにトラウマ(精神的外傷)を克服する一助となっています。ユニセフは、一人でも多くの子どもたちが、シンディちゃんのようになれるよう、全力で活動を続けています。

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